杉の子たちの50年・来場者の感想



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2019年9月6日に開催された、第29回北方シネマの上映会にお集まりいただいた皆様、ありがとうございました。ここに来場者のみなさまの感想を掲載いたします。




20代

  • 戦争を経験し、それを伝えて行く人は、ますます少数になってきたとよく聞く。過去にこのような歴史があったと忘れてはいけないことであり、今の日常が成り立っているのも、この過去に起こったことが元になっている。最後の高校生が調査していたように、絶やさず、経験をした方々の話を聞いてまとめ、後に残すことは重要なものと感じた。


30代
  • 私の祖母の世代が、アフタートークの河原さんと同世代です。戦争の話を聞くということをやりたいのだけれども、祖母は積極的にしたがりません。河原さんがおっしゃるように、思い出したくもないからかもしれないと思いました。個人的に話したくないけれども、社会的には残ささなければならないことはきっとあるので、このような話を残すための工夫が必要だし、同時に、このような体験をどのようにすれば広く読まれるのか考えたいです。
  • アフタートークで気づいたことがある。聞き書きの活動をされている方々が、戦争体験の聞き書きを「平和教育」の一環として取り組んでいる、といわれた。そのときに、疎開の体験などは戦争学のテーマとして扱われるべきだとおもった。疎開でのいじめや市民の混乱、つらさなどは戦争時特有の暴力だからだ。戦争やテロといったトピックが好きな人がいるが、ぜひこういう体験もまた戦争の一部なのだということを、よく研究し、広く知ってもらいたいとおもった。



40代
  • 私も集団行動がうまくできなくて小学生の時からクラスメートの人たちのいじめを受けました。何かあったら殴る、蹴る、無視されるということが多くありました。吃音「どもり」もありましたので濡れ衣を着せられたこともありました。こういうことは21世紀にもあるのではないでしょうか。


60代
  • 戦争による被害の証言、歴史を残すことの重要性を改めて平和の大切さを感じた。以前、那覇の対馬丸記念館を見学した時の思いが蘇ってきた

  • 学童疎開を経験した世代による活動の広がりを初めて知り、日本は戦争に対し、国民としての行動はあまり起きない国だと思っていた。しかし体験をベースに行動した世代はあり、日本の戦争責任についてもはっきり認めている人々はあったのだといまさらに考えることになった。今となっては語り部的なこれらの活動を取り上げていただいて大変励まされた気がする。平和憲法への想いも聞け、とても勉強になりました。
  • 学童疎開の体験者は子供として戦争を知っている最後の世代で「戦争をしてはいけない」「今の憲法は戦争の放棄、軍備を持たないと言っていて守らなければいけない」などと実感を持って語っていた。改めて「9条を守れ」の声を上げ続けることが大切だと思う。


70代以上
  • 「ほんとうは想い出したくない」という場面にそうだ!と思った。でも喋らないと残せない。こういう映画を孫たちに見せたいと思った。

  • 藤原智子監督の作品を長い間見たいと念じていました。今回望みが叶って非常に嬉しい思いです。政策が1977年?結構新しい作品なんですね。42年前!!ですね。題材の悲劇的な史実に関わらず作品としてのトーンの豊潤さを強く印象付けられました。


年代不詳
  • 大変に良い作品でした。生き残った方々の生々しい言葉は貴重です。小さい頃の親を亡くされた方の悲しみ、等胸に迫るものがありました。本当にありがとうございました。
  • 今夏沖縄に行って来ました。辺野古、普天間、対馬丸記念館訪れた。ドキュメンタリー映画「米軍が最も恐れた男カメジロー」2本目が上映されていた。話を聞いて知ることしかできませんでしたが私自身のためにも足を運べるところは足を運びたいと思っています。普天間基地近くのホテルに泊まった夜10時ごろ、爆音とともに2機のオスプレイ、大型のヘリコプター、訓練機が頭上近くにあった恐怖は忘れないでおこうと思っています。

  • 理不尽な辛さ、悲しみを受けた人たちの強さを感じました。
  • ・私の両親も84歳と87歳で疎開された皆さんと同じ世代です。戦争を体験した子供の視点で語られる話に私の親からは聞けていない話を聞いた思いがしました。私の父にも自分史を描くことを勧めましたが、書く気になれないそうで、私の子供たちにも伝えられずにいます。



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